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2021年5月16日 (日)

平成27年/2015年、書店を運営する天狼院が、小説家養成ゼミを始める。

▼平成18年/2006年、NPOコトバノアトリエが「ニートのための小説教室」を始める。

 時流とか潮流とか、そういう切り口で語ろうとすると、個々の事例をとりこぼしがちです。どんなテーマでも同じでしょうが、文学史もまた例に洩れません。時代ごとの特徴を、いくら賢しげにピックアップしても、そこから外れる例外なんて腐るほどあります。

 小説教室は、どうでしょう。80年代以降、日本全国、小説教室は百花繚乱の花ざかり……みたいな感じで、うちのブログも書いてきましたけど、盛っているところがあれば衰えるところが、かならずあります。

 80年代から90年代、日本の文化のなかに小説教室が自然の風景として根づいた。そのなかで当初の目論見どおりに教室運営(経営)が進んだのはごく一部で、だいたいは尻すぼみ、店じまい、空中分解といったかたちで失敗に終わった……と言うほうが実態に近いかもしれません。

 たとえば、先週ふれた石田衣良さんの小説スクールもそうです。最初の話題性はバツグン(?)で、いろいろウェブ記事にも取り上げられました。だけど、その末路はよくわかりません。

 話題性ということでは、平成18年/2006年ごろにあったのが、「ニートのための小説教室」です。

 平成14年/2002年3月、慶應義塾大学を出た山本繁さんが、ボランティア団体として立ち上げたNPOコトバノアトリエというものがあります。その初期の活動としてつくられたのが、中高生を対象にした小説教室です。ここでの経験のなかで、引きこもりの人たちが内に持っている表現欲をどうにか開花させられるように支援できないか、と考えるようになって、平成18年/2006年にひとつの事業として始めたのが「神保町小説アカデミー」。受講資格は、引きこもり、ニートであること、という「ニートのための小説教室」でした。

 定職がなく次の一歩を踏み出すところで問題を抱える人たちに、文章を書いてみよう。いや作家を目指してみよう! というのは理にかなっているのかどうなのか。よくわかりませんが、たしかに面白い試みです。しかし、NPOとはいえおカネがきちんと回らなければ継続することはできません。けっきょく肥大化する赤字を解消できず、ポツポツと商業出版の書き手が出はじめたところで、講座は終了、いまや、影もかたちも……といった感じです。

 とまあ、ここから「潮流」を取り出せるほど、ワタクシも冴えがないので、膨大な事例のなかのひとつとして、そっとスルーしたいと思いますが、言えるとすれば、話題になる小説教室というのは、だいたい「本気で職業作家を目指す人」を対象に設定している。その傾向はあるでしょう。

 平成27年/2015年から始まった「天狼院文芸部(小説家養成ゼミ)」も、本気度が大きなウリです。

 えっ、そんなのあったの、まったく知らなかったよ、ぜんぜん「話題の小説教室」じゃないじゃん。と言われてしまえばそれまでですが、少なくとも天狼院書店は、オープンのころから、かなりの話題を集めた本屋です。

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2021年5月 9日 (日)

平成25年/2013年、石田衣良から小説指導が受けられる、ということが特典の「ノベリスタ大賞」始まる。

▼平成25年/2013年、石田衣良の「小説スクール講座」が始動。

 「直木賞」というのはブランドです。芥川賞ほどではないにしろ、「直木賞」という言葉も、とんでもなく強い力をまとっています。

 ブランドは、とりあえずそれさえ押さえておけば安心だ、という感覚を多くの人に持たせるいっぽうで、昔に比べて質が低下しただの、そんなものをありがたがるのは自分で判断ができない脳みそパラパラのアホだけだだの、さんざん悪口も言われます。口汚くののしる人たちが、じゃあ、そのブランドのすべてを知っているのか、といえば、別にそうでもないらしく、思わずズッコけてしまうんですが、賛否両論の嵐にまみれながら、その固有名詞を出せば「ああ、あの……」と、なにがしかの印象をみんなに持たせてしまう。ブランドの力です。

 直木賞がいまだにその力を持っていることは、疑いようがありません。受賞者が出れば、生まれ故郷や縁ぶかい地域に「おめでとう、直木賞受賞!」と垂れ幕が飾られ、受賞作でもないのにこれまでの著作や、受賞以後に書かれる本の帯に「直木賞」の文字が踊り、出版業界のなかでも受賞者とそうでない人のあいだには、目に見えない扱いの違いがほんのりと残り、出版と関係のない世界では直木賞をとった人というだけで、「売れない作家」から「立派な作家」へと見る目が変わります。まったくアホらしいハナシですけど、人間というものはだいたいアホらしいものでしょう。直木賞に限ったことじゃありません。

 さて、前置きが長くなりました。直木賞にはブランド力がある。いっぽうで、作家になりたいと憧れる人たちがいて、小説教室が活況を呈する。となると、当然発生するのが、「直木賞受賞者が教える!小説の書き方」という観点での、小説教室の謳い文句です。

 重兼芳子さんが芥川賞をとってワッと小説教室に光が当たってまもなく、直木賞を受賞したばかりの阿刀田高さんに小説講座の仕事が舞い込んだ……というハナシは、以前触れました。伊藤桂一さんも小説教室の講師として名を馳せたひとりですし、多岐川恭さんのクラスからのちの直木賞受賞者が生まれた、なんていうエピソードも、直木賞と小説教室の歴史のなかでは外すことができません。

 この流れは21世紀に入っても途絶えることなく、直木賞をとった人が小説の執筆で忙しいなか、あちらこちらに駆り出されているわけですが、ここで注目しておきたいのが、石田衣良さんの講座です。

 石田さんといえば、「池袋ウエストゲートパーク」でデビューしたのが平成9年/1997年、37歳のとき。以来こつこつと実作を積み上げて、43歳のときに『4TEEN フォーティーン』で第129回直木賞(平成15年/2003年・上半期)を受賞します。物腰の柔らかさとスタイリッシュなたたずまいで、テレビのコメンテーターをやったり、人生相談の回答者をやったり、ときに政治や社会問題に口を出してはすぐに炎上したりと、「イジられる小説家」として第一線に立ちつづけること、ン十年。

 若い世代の書き手、ないし若い世代の読み手にも、積極的にアプローチすることを惜しまず、ラノベの世界にも乗り出します。石田さん自身、いかにも若いようでいて、もはや還暦をすぎてしまいましたが、いまもなお偉ぶらず、しかし脇の甘い発言を繰り出しては叩かれて、心の若さに実年齢なんて関係ないのさ、というところを体現して見せてくれています。いつまでも、世間にイジられるおじいちゃん作家でいてください。

 と、その石田さんが、「あの直木賞受賞者が……!」というのをたぶんウリにして、小説の書き方を指導する企画にチャレンジしたのは、平成25年/2013年。まだ10年もたっていない最近のハナシです。

 小説教室や小説の新人賞、という文化現象に関係するもので、この10年20年で一挙に拡大を遂げたものに、小説投稿サイトがあります。

 そのひとつに「E★エブリスタ」というものがあり、いまでは「エブリスタ」と名を変えていますが、平成25年/2013年、この投稿サービスを最大限に生かして新人作家を発掘しようと一大プロジェクトが立ち上がります。あの石田衣良先生を審査員に迎え、あの石田衣良先生に読んでもらい、優秀な作品にはあの石田衣良先生から講評がもらえる。ええい、それどころか、優秀と認められた投稿者は、あの石田衣良先生から直接、小説の書き方を指導してもらえるのだ、という夢のような文学賞が創設されたのです。その名を「ノベリスタ大賞」といいます。

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2021年5月 2日 (日)

平成15年/2003年、大塚英志が『キャラクター小説の作り方』を刊行する。

▼平成15年/2003年、高橋源一郎が『キャラクター小説の作り方』を書評で褒める。

 またハナシが直木賞からズレてきました。マズいですね。

 高橋源一郎さんにしろ保坂和志さんにしろ、うちのブログで取り上げるような人ではありません。だけど、21世紀、日本の小説をとりまく環境を見れば、自然と「小説教室」が根づいているのは明らかですし、直木賞もたしかにその土壌のうえで運営されているのだ……とか何とか強弁して、先をつづけたいと思います。このテーマも、あと数回で終わります。

 それで、先週触れた保坂さんの『書きあぐねている人のための小説入門』(平成15年/2003年10月・草思社刊)なんですが、これが出たのが21世紀に入ったばかり、いまから20年ほどまえのことです。そこに保坂さんによる現況認識が書かれている、とうちのブログでも紹介しました。いわく、小説の書き方のマニュアル本はたくさん出ているけど、小説家の書いたものは高橋源一郎さんの岩波新書ぐらいしかないんですよね……みたいな認識です。

 でも、この文章、ふつうに読んだら違和感が沸いてきます。

 70年代、80年代、90年代、そして00年代。現実に作家として小説を書き、お金をもらっている人たちのなかで、小説の書き方を出したのが高橋さんだけ? ちょっとそれは保坂さんの「小説家」というものに対する定義というか感覚が狭すぎるんじゃないの?

 ……と、その違和感をはっきりと表明した人がいます。大塚英志さんです。

 保坂本が出た当時、すでに大塚さんは評論家であると同時に、みずから小説づくりに携わる「小説家」でもありました。さらにいうと、小説とはどうやって書いたらいいのかを解説する「小説の書き方本」も何冊か書いていた人です。

 大塚さんは主張します。日本の文学と呼ばれるものは昔っから、ある特徴をもっていた。それを現代に当てはめたとき、最もその伝統に即しているのが「スニーカー文庫のような小説」なのだと。作者本人だの「私」だのを突き詰めるのではなく、すべての人物をキャラクターにして物語を構築してみる。そうすれば誰にだって小説は書けるんだよ。そうさ書けるはずさ、ということで『物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン』(平成12年/2000年12月・朝日新聞社刊)あたりから、マニュアルに近い小説作法の書を次々と刊行します。

 そのなかのひとつが、平成15年/2003年に刊行された『キャラクター小説の作り方』(講談社/講談社現代新書)です。

 そこで解説される「小説の書き方」は、パターンを組み合わせることでディテールとストーリーを考えていくというキャラクター重視の小説に特化していました。書かれた00年代当時(いや、いまも多少はそうかもしれませんけど)「文学」や「文芸」とは呼ばれず、関わっている編集者たちもそのことにある種の引け目を感じていたような小説、と言ってしまっていいでしょう。

 本のタイトルも、やり口も、いかにもキワモノです。ハッタリが効いています。

 狙いが当たったものか、この本は新書のベストセラーリストに上がるほどに好調に売れましたが、キワモノ感、ハッタリ感といって思い出されるのが、何といっても前年に岩波新書から出た『一億三千万人のための小説教室』です。

 その著者である高橋源一郎さんは、このとき、『朝日新聞』の書評で大塚さんの本を取り上げ、ハッタリに隠れた本書の魅力を褒めたたえます。

「ぼくたちは気づくべきなのだ。終わったかもしれない「文学」をこの時代にこの国で書いていくための見取り図、それをあえて描こうとした人間が、この本の著者以外に殆どいなかったことに。そして、この本が、どこかで、誰かが、はじめているに違いない困難な試みへの励ましと支援のメッセージになっていることに。」(『朝日新聞』平成15年/2003年3月23日 高橋源一郎の書評より)

 たしかに、この本はマニュアル本のように書かれていながら、文学論、芸術論、文化論として面白く読めるところに、並の「小説の書き方本」を超えたよさがあります。高橋さんが書いた小説作法のような切り口もあれば、保坂さんのようなアプローチもある、そしてまた全然違う角度から大塚さんの試みも出る。00年代に訪れた、出版界における「小説教室」文化の豊穣です。

 ところが、その保坂さんの本のなかに、やっぱ高橋さんみたいに実作家が書いた小説作法じゃなきゃダメだよねー、マニュアル的な小説の書き方本なんてクソほど役に立ちゃしないぜ……みたいな一節があったものですから、大塚さん、ムッとします。

 たぶんムッとしたんでしょう。すぐさま応戦の構えを見せるのです。

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2021年4月25日 (日)

平成14年/2002年、高橋源一郎の『一億三千万人のための小説教室』がよく売れる。

▼平成14年/2002年、「小説の書き方」を書いた本が、すでにたくさん世に行き渡る。

 話題になる本に、法則なんてものはありません。

 どうしてこの本がベストセラーになったのか。……みたいな解説は、およそ後づけの産物です。だからと言って解説を否定したいわけじゃなく、そういうのはだいたい「後づけすることの快感」にひたるために存在しています。ワタクシも後からテキトーにこじつける快感は、読むのも書くのも大好きです。

 なかでも本の売り上げに関するハナシは、文学賞と同じく、小説をとりまく話題のなかでも下世話で世俗的なものとして、いつも馬鹿にされがちなので、よけいにワタクシは興味が沸くんですが、過去のベストセラーのリストを見ていると、ときどきポッと加熱して売れ行きを伸ばすジャンルがあります。「小説の書き方」本です。

 似たものに「文章読本」系というジャンルがあります。谷崎潤一郎さん、三島由紀夫さんなどビッグネームを筆頭に、この題名をもつ出版物がたくさん書かれ、昭和以降の出版経済を潤わせてきました。その状況を背景にして、過去にどんな「文章読本」系の本があったのか紹介する新聞記事や雑誌記事もまた、やたらと数多く書かれています。もちろん、それを研究している人もいると思います。

 比べて「小説の書き方」本は、若干似て非なる、と言いますか、より実践的に読み手に創作の方法を教えて、小説を書く人=作家になる人を新たに生むことに重点が置かれています。現在でもそれなりの規模の本屋に行けば、何種類か並んでいるでしょう。そして、たいていそういう本のまえがきには、「世間には小説の書き方を解説した本がたくさんあるが、そのなかで本書の特徴は~」みたいなことが書いてある、というぐらいに、まあ、このジャンルの本は山ほどあるわけです。

 山ほど増えたことと小説教室の歴史は、無縁じゃありません。日本では1970年代以降に、小説新人賞の発達、小説教室の充実、という2つの現象が起きましたが、これと歩調を合わせるように「小説の書き方」本も増加します。

「このあいだ、確かめたところでは、わたしの書斎の本棚には「小説の書き方」「小説教室」「小説はどうやって書くか」「小説家になる方法」「新人賞のとり方」「作家になるには?」といった、小説を書くための、もしくは、小説家になるための本が、三十一冊ありました。「SF作家入門」や「ミステリーはこう書け」といった、特定の小説の分野の書き方を教えるためのものを加えると、ざっと五十冊にもなりました。」(平成14年/2002年6月・岩波書店/岩波新書、高橋源一郎・著『一億三千万人のための小説教室』より)

 と「少し長いまえがき――一億三千万人のみなさんへ」に書いたのが高橋源一郎さんです。こんなにもたくさん出ているんだよ、だけど私の知るかぎり、こういう本を読んで小説家になった人はひとりもいないのさ……と続けて、ほんとうに小説を書けるようになる本とはどういうものなのか、「小説の書き方」本を読んだところで小説家にはなれないんじゃないか、などなどを考察しています。

 「小説の書き方」本を読んだって小説家にはなれない、というのは、高橋さんの一種のハッタリです。仮にじっさいの小説家のだれかが、えっ、わたし、「小説の書き方」本を読みましたよ、と手を挙げても、いや、そういう人は「小説の書き方」本を読まなくたって小説家になれた人だからね、と言ってしまえばいいだけのことです。○○をしたから小説家になった、というのは、論理的に実証できるハナシじゃありません。

 それはともかく、どうして高橋さんの『一億三千万人のための小説教室』を引用したのか、というと、この本がけっこう話題になって売れたからです。

 出版されたのは平成14年/2002年です。すでにこの段階で30冊以上は、容易に手に入る「小説の書き方」本が氾濫し、べつにそのすべてがクズ本だったわけではないはずですが、それでも高橋さんには、なお「小説の書き方」本を書く余地があって、そしてそれが一般の読者にもそこそこ興味をもって読まれます。そこが面白いところです。

 高橋さんは、すっとぼけたようなフリをして実はまっとうに核を突く、あるいは身もふたもなくまっとうに論を展開しているようで、ネジくれている、という物書きです。『一億三千万人のための~』ももちろんその例に洩れません。それまでに書かれてきたプロットの立て方、構成を考えるときのコツ、会話文と地の文の使い分け、昔の作家の文章を筆写してリズムをつかむ、などの技術論のようなことをまったくひっくり返して、小説を書くのと人が生きるのとはほとんど同義なのだから、あなたが生きているだけでもうすでに小説を書きはじめていると言っていい……と語ります。

 要は、これまでの「小説の書き方」本を前提にした、メタ「小説の書き方」本であり、アンチ「小説の書き方」本です。時代としては、小説教室の隆盛わずか20年程度しか経っていません。2000年代初頭、こういうものが出てくる素地がすでに築かれていた、ということを見ても、「小説、書いてみよっかな」と思わせる環境が、いかに急速な広がっていたのかが、よくわかるというものです。

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2021年4月18日 (日)

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▼令和3年/2021年、安部龍太郎、畠中恵、門井慶喜が日替わりで歴史時代小説の書き方を伝授する。

 小説教室は、いまこの瞬間も膨張しています。

 昔のハナシもいいんですけど、せっかくですから、何かリアルタイムな事例も取り上げたい。と思っていたところ、もうじきこのテーマが終わるギリギリのタイミングで、ちょうどよさそうなのが目に留まりました。よく見れば直木賞と関係ないこともありません。今週はその話題で行きたいと思います。

 先ごろ、「「オール讀物」歴史時代小説書き方講座」というものが、世界の片隅でひっそりと行われました。

 4月9日(金)から11日(日)3日間にわたって一日2時間ずつ、安部龍太郎さん、畠中恵さん、門井慶喜さんが日替わりで登場し、これから歴史・時代小説を書いてみたい、書いて新人賞をとりたい、と思っている(はずの)受講者たちに向けて、その作法や書き方、心構えなどをオンラインで語るという試みです。

 『オール讀物』では初めての企画だそうですが、どういう内容の「小説教室」なのか、作家たちがどういうことを語るのか、ワタクシも興味があったので、3日間通しの11,000円のチケットを買って、視聴してみました。

 初日、安部龍太郎さんの回は、とにかく安部さんのマイクの調子が異常なほどに悪く、せっかく熱弁する講師の話が、2時間のあいだずっと、途切れたり、異音が入ったりと、もう聞くに堪えないと言ってもいいほどだったので、ネット回線を介したオンラインのイベントも前途多難だなあ、とヒヤヒヤしましたが、2日目以降はそれもかなり改善されました。いや、真剣に小説家になりたい、作家デビューしたいと熱意のある人たちは、講師の声を一言たりとも聞き漏らすまいと気合を入れて耳を澄ませていたことでしょう。あれぐらいの通信の乱れは、障害のうちに入らないかもしれませんね。

 多少のトラブルはいいとして、何といっても際立っていたのは、3日間司会を務めた『オール讀物』編集長、川田未穂さんの「デキる文芸編集者ぶり」です。

 川田さんがデキるデキるというのは、業界の外で生きている完全部外者のワタクシですら、何となく耳にしたことがあって、直木賞をとりまく現状の世界ではもはやよく知られたハナシなのかもしれません。その実際の働きぶりが画面を通して見られたわけですけど、ハナシが逸れに逸れていく講師の話題を、さえぎったテイを出さずにうまく軌道修正し、受講者からチャット形式で届く質問を、これも丁寧に拾っては講師のほうに投げかける。ときおり、「他の作家の方にうかがったところですと……」と、別の人が語ったハナシを織り交ぜながら、講師の話をサポートし、聞き役に徹しているようでありながら、編集者としての体験談もそこかしこで披露することで、講座の内容に深みをもたせる。

 会議の進行や、座談の司会なんて、小説づくりとは何の関係もじゃないか。と言ってしまえばそうなんでしょうけど、しかし、こと直木賞の場合は、まるで無縁ともいえません。というのも選考会では、お歴々の選考委員たちの他に、進行役を務める「司会」が同席するからです。

 直木賞の歴史を見ていても、司会によるさばきぶりのよしあしが、多少話題にのぼることがあります。あるんですけど、当然、われわれ一般読者や、もしくは単に結果をニュースで知る大半の人たちにとって、文学賞といえば司会役(直木賞の場合は『オール讀物』編集長)だよね、というイメージがパッと思い浮かぶものではありません。

 その意味でも、いま現在の『オール讀物』のトップが、どういうふうに作家から意見なり見解なりを引き出すのか。今回は選考会ではなく、あくまで観客に見てもらうための開示された空間ですから、違うといえば違うんでしょうけど、しかしその「司会」の話術と手練手管の一端をかいま見られた……というだけでも、この講座に11,000円を払う価値はあった、と思います。

 とまあ、だれにも共感されそうにない感想で、すみません。講座の内容としては、とくに畠中さんや門井さんは、日ごろ自分で利用している基本的な資料や、構成を立てるときのやり方など、技術的な具体例をたくさん紹介していて、きっと小説を書く受講者には役立つものだったでしょう。また、門井さんが『家康、江戸を建てる』を書くときに古書店で入手した『明治以前日本土木史』(昭和11年/1936年・土木学会刊)を手にしながら、その古書の、前の持ち主との奇縁を語ったエピソードなどは、もうほとんどひとつのエッセイと言ってもいいほどに面白く、一般の読者にとっても貴重な講座だったことは間違いありません。

 それともうひとつ、この講座には重要な特徴がありました。平場の小説教室とは違い、「オール讀物新人賞」という特定の公募文学賞のために行われた、という点です。

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2021年4月11日 (日)

平成9年/1997年、高橋義夫が山形で「小説家になろう」講座を開始する。

▼平成9年/1997年、「盛り場学入門講座」と並行するかたちで、高橋義夫が小説教室を企画する。

 1990年代といえば、だいたい20~30年まえの出来事です。

 ワタクシを含めて老年・中年のジジババにとっては、ついこないだですね。って感じですけど、直木賞で換算すると40~60回分ぐらいに当たります。ひとりの作家が受賞する、やがて選考委員になる、そして退任する……そんなふうに直木賞歴がスッポリ入ってしまう人が何人もいるぐらいに、けっこう長い時の流れです。20~30年なんて最近のようではありますが、「昔のこと」と見ても許されるでしょう。

 その昔むかし、年号ではおよそ平成に入った頃合いに、直木賞やもうひとつの賞では、「地方の時代」みたいなことが言われていました。とりあえず平成1年/1989年1月に決まった第100回(昭和63年/1988年・下半期)などがその代表的な例で、直木賞ほか一賞の受賞者は全部で4人いましたが、その全員が東京から遠く離れた居住地で結果を知ったために、当夜、東京の受賞会見場にはだれも現われなかった、という異例の事態が起こります。もはやジジババたちが懐かしんで語ってしまう昔の話です。

 「地方の時代」と呼ばれたうねりは、もちろん小説教室も無縁ではありません。文学学校しかり、井上光晴さんの文学伝習所しかり。あるいはマスコミ系の企業が、全国各地にビジネスチャンスを求め、その結果、小説を書いてみようという熱がさまざまな地域に広がったことは、以前も取り上げましたが、90年代になると、直木賞と関わりの深い教室が地方に生まれ、大きな成果を挙げ出します。

 たとえば山形市の「小説家になろう講座」です。始まったのが平成9年/1997年ですから、いまから24年まえ。その後、いろいろとあって「山形小説家・ライター講座」と名前が変わったものの、いまでも現役バリバリ、人気の講座として続いています。

 発起人は、山形県に居を構えて直木賞をとった高橋義夫さんです。受賞したのが第106回(平成3年/1991年・下半期)、このときも盛岡在住の高橋克彦さんと同時受賞だったので、みちのくの作家が直木賞を独占! と大きく話題になった……かどうか、それは微妙なところですけど、ともかく「別に東京にいなくたって小説は書けるじゃん」を実践するひとりとして、山形の界隈で楽しく暮らします。

 山形で知り合った現地の人たちと夜な夜な酒場に繰り出したり、歩き回ったりしているうちに、「花小路活性化委員会」や「渤海倶楽部」と称する集まりができていきます。「花小路」というのは山形市内の、小さい酒場がたくさんある地域の名前ですが、そういうところに出入りして、遊びと言いながらワイワイしゃべり合い、仲良くなったりケンカしたりしているうちに、こういう盛り場の存在が社会に与える効果には絶大なものがある、盛り場が街を活気づけるし、盛り場の衰退する場所には未来がない、そうだ、「盛り場」をマジメに(そして遊びながら)研究する会があったら面白いんじゃないか。……と考えた高橋さんは、こういう一銭にもならず、他人から「ナニそれ?」と馬鹿にされるようなことを、真剣にやるのが大好きな人だったので、どうやったら「盛り場学会」が実現できるかと、頭をひねります。

 そこで出てきたのが、自主講座を定期的に開いたらどうだろう、というアイデアです。県外から知り合いに来てもらい、話をしてもらう。お客さんがたくさん入る講座であれば、山形県生涯学習センター「遊学館」あたりで開かせてもらえるだろう。……と、頭のなかで夢を広げますが、そもそもが遊びの延長ですから、枠組みが決まっているようなもので、ないようなものです。盛り場研究を看板に掲げながら、とにかく山形でいっしょに遊んでくれそうな人を物色し、悠玄亭玉八さん、ねじめ正一さん、時実新子さん、なぎら健壱さん、鹿島茂さん、橋爪紳也さんなどに話をつけて、「盛り場学入門講座」と銘打った年間講座を計画します。平成9年/1997年のことです。

 だけど、ざっと見積もってみると、けっこうお金がかかってしまうことが判明。わざわざ来てくれるゲスト講師には少しでも上乗せで謝礼を払いたいし……と高橋さんはまたまた頭をひねります。ううむ、もうひとつ並行して自分だけで講座をやったらどうだろう、その受講料収入を「盛り場学」のほうに当てればいいんじゃないか、はてさて、自分にできる講義は何だろう。と、そんな流れで思い至ったのが、小説の書き方を主題とする生涯学習の講座だった、というわけです。

 こんな回想が残っています。

「「盛り場学入学講座」の翌日、ぼくは今度はひとりで、遊学館に行った。その日は、ぼくが講師となり、「小説家になろう」という講座がある。

実はこれには裏話がある。「盛り場学入門講座」にかかる費用が、ぼくにとっては莫大なものになるので、もうひとつ講座をやり、交通費程度でもよいから、その講師料を盛り場学のほうへまわして、「損失補てん」しようと、目論んでいたのである。ぼくは狸の皮算用は好きだが、実行においてどこか間のぬけたところがある。話がどう行きちがったか、いつの間にかそれも、自主講座となってしまった。(引用者中略)定員三十名のところに、六十名以上も応募があり、抽選をするほど反響があった。」(平成10年/1998年4月・洋泉社刊、高橋義夫・著『楽をしたかったら地方都市に住みなさい』「15「やまさか講座」開講――幕内のドタバタ劇」より)

 自主講座とは言っても、やるからには本気です。ここから新人賞をとるような作家を育ててみせるぜ! と気合は入っていたらしいんですが、なかなか簡単ではありません。また、そこには高橋さんなりの考えもあって、だらだら続けたって意味がない。期限は3年。3年書いてロクなものが書けないヤツは10年やったって駄目なんだから、みんな3年で卒業させる、という方針を打ち出します。

 ということで、平成9年/1997年、平成10年/1998年、平成11年/1999年……。東京あたりからゲスト講師を招き、受講生たちの作品を読んでもらいながら講評する、というスタイルで3年つづけました。しかしけっきょく、デビューする人を出すことはできず、平成12年/2000年春に、あーやめたやめた、と高橋さんは幕を下ろしてしまいます。

 期限を3年に設定する、というのは高橋さんの独特な感覚です。これをどう見るか。あとで振り返れば何とでも言えるので、難しいところですけど、やって駄目ならすっぱりやめる、というのも当然アリだと思います。高橋さんだって無限に時間のあるひま人ではありません。

 しかし、同じ山形に、もう少し腰を据えてやってみてもいいんじゃないか、と考える小説業界の人がいたおかげで、高橋さんが下ろそうとした幕は、下りませんでした。幸運というしかありません。

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2021年4月 4日 (日)

昭和14年/1939年、長谷川伸たちが小説の勉強会「十五日会」を始める。

▼昭和15年/1940年、長谷川伸門下の「十五日会」から河内仙介が直木賞を受賞。

 世間には小説の勉強会というものがあります。小説教室の歴史を振り返っていくと、大学のライティングコースと並んでかならず目に止まりますが、これまで日本にどんな勉強会があったのか。まともに取り上げはじめたら無限に出てくるはずです。とても対応できませんので、代表的なものだけさらっと見てみます。

 ということで、先週は丹羽文雄さんを中心とする十五日会のことに触れました。しかし、直木賞の話題で小説の勉強会といえば、やはりこれ、新鷹会を挙げないわけにはいきません。

 新鷹会。長谷川伸さんとともに一時代を築いた有名な勉強会です。何だかいつも直木賞の傍らにあって、ついつい知った気になってしまいますが、うちのブログでもあんまり起源を追っていなかったので、これを機会に少しひもといてみます。

 小学校を途中でやめて、以来さまざまな仕事に就いた長谷川さんは、幼少のころから本をむさぼり読み、演劇に親しむようになって劇作・小説を一心不乱に独学、20代後半からボツボツと原稿が売れるようになっても、まったく向学の手をゆるめません。仲間たちといっしょに月に一度、赤坂の「山の茶屋」に集まって開いたのが「山の会」と称する勉強会で、これはおそらく昭和初期ぐらいに開かれたものと思いますが、くわしい記録は残っていないそうです。

 やがて昭和8年/1933年、長谷川さん49歳、働き盛りのアラフィフ世代のときに土師清二、甲賀三郎、竹田敏彦、藤島一虎らと語らってハナシがまとまり、12月から「二十六日会」を始めます。毎月26日に開くから二十六日会。単純明快です。そこでは当初、小説、戯曲、そして人つくり、三つを勉強することを目標にした、と言われますが、ここに「人つくり」が入っているところが、ミソというか、長谷川一門が単なる創作勉強集団ではない大きな特徴です。

 それと、もうひとつ面白いのが「小説と戯曲」が同じ枠組みで考えられていた、ということでしょう。大衆文芸のなかでは(というか純文芸も同じでしょうが)、小説と戯曲(脚本、台本、シナリオなどなど)は常に隣り合わせの双生児です。直木賞の歴史を見てもそれは明らかで、演劇、芸能、映画、テレビなど、出版以外の要素が賞のなかにたくさん入り込んでいる、という特徴があります。だから直木賞は、文学賞として面白いわけですね。

 それはそれとして、二十六日会に話題を戻します。

 会のある日は、だいたいみんな勤務や仕事があるので、それが終わった夕方に参集し、自分で書いてきた作品を朗読する。他の参加者はそれを聞いて感想を述べ、批評をし、あそこはこうしたほうがいい、あそこはどうだと「勉強」をし合いながら夜を明かす……という段取りでやっていたそうです。これを毎月毎月、何年もつづけたというのですから、好きじゃなければ、なかなか続きません。

 しかしどうやらこの会は、回を重ねるにつれて脚本研究のほうに比重が置かれるようになったらしく、これとは別に小説研究の会合がもたれるようになります。ものの本によりますと、第1回目の会合は昭和15年/1940年9月22日、京橋にあった蕎麦屋「吉田」の2階で開かれ、参集したもの12人。村上元三、山手樹一郎、大林清、棟田博、長谷川幸延、穂積驚、浜田秀三郎、森川賢司、神崎武雄、安房八郎、島源四郎、そして先輩格として長谷川伸。このとき山岡荘八さんは戦地に赴いていたんですが、帰国後は長谷川さんベッタリというふうにこちらの会にも参加します。

 毎月15日に集まることに決まったので、名称は「十五日会」です。しかし、しばらく経って「~日会って名称ばかりだから、いっそ『新鷹会』に名を改めようぜ」と村上元三さんが言い出し、それが長谷川さんにも了承されて「新鷹会」となったんだ、と言われています。

 正式な会員がどう変転していったのか。とくに初期のころの動静はとらえづらいものがありますけど、「十五日会」は昭和15年/1940年9月に発足したことになっています。ただ、直木賞の歴史に当てはめると、河内仙介さんの「軍事郵便」が受賞したのが第11回(昭和15年/1940年上半期)ですが、その選考会は十五日会発足の1、2か月前です。あれ、河内さんって十五日会に入ったあとに直木賞をとったんじゃなかったの? ……などなど、よくわからないこともあります。

 だいたい十五日会って言っているのに、どうして初回の会合が9月22日なんでしょうか。事情は判然としませんが、横倉辰次さんがまとめた『長谷川伸 小説戯曲作法』(昭和39年/1964年11月・同成社刊)の巻末に長谷川さんの年譜が入っていて、ここでは「十五日会」の誕生は昭和14年/1939年7月だ、と書いてあります。第三次『大衆文藝』が創刊したのは昭和14年/1939年3月号で、常識的に考えるとその数か月後に、小説の創作に特化した新進作家たちの集まりができた、と見るほうが自然ですから、十五日会ができたのは昭和14年/1939年7月、新鷹会と名を改めたのが昭和15年/1940年9月、ということなんでしょう。

 とか何とか、細かいところを突つきすぎて「小説教室」のハナシから外れてきました。すみません、先に進みます。

 ともかく十五日会は小説を勉強する集まりだったんですが、やり方は脚本研究の二十六日会とだいたい同じでした。参加者はそれぞれ、自分で小説を書いてきて、みんなのまえでそれを朗読する……という方法です。

 ワープロもなければ、用紙の事情もいまとは違う、そういう時代に小説の書き方を勉強するには、みんなに語って聞かせて講評を得るのが自然だったのかもしれません。しかし、やはりここにも長谷川伸さんなりの小説観というか、「小説と戯曲観」が見えています。戯曲というのは、いちおう生身の人間たちが声を出し合うことを前提につくられるのが建前です。作品の発表のときに朗読してみるのは理にかなっています。小説もまた、形態は違えども戯曲に通じるものがある。人前で読み上げることで、その良し悪しは十分に伝わるものだ。……という考え方です。

 村上元三さんも、その後輩の戸川幸夫さんや平岩弓枝さんも、新鷹会出身の作家は、「会合で朗読する」ことを書いたエッセイをたくさん残しています。同じことをしろと言っても、現代の小説教室では、なかなか受け入れづらい(広がりづらい)気もするんですけど、しかし、シナリオを書くことも小説の勉強、小説を書くのもシナリオの勉強、という長谷川さんの教えを信ずるとすれば、これはこれでマトを射た勉強法なのかもしれません。

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2021年3月28日 (日)

昭和29年/1954年、丹羽文雄の『小説作法』がベストセラーになる。

▼昭和27年/1952年、丹羽文雄の「小説作法」が載った『文學界』、文芸誌として異例の増刷。

 なるべく時系列に沿って小説教室の歴史を追ってみよう。と思って書いてきましたが、そろそろ終盤、21世紀のハナシに入ったところで、途中、書き落としがあったことに気づきました。なかなかうまくいきませんね。ブログも人生も。

 なので、ちょっと時代をさかのぼります。先週、同人雑誌の合評会のハナシが出てきました。これが日本の小説教室にさまざまなかたちで影響を与えてきたのは間違いないぞ。となると、やはり『文学者』界隈のことを素通りするわけにはいきません。コヤツ、合評とも小説教室とも決して無縁ではないからです。

 丹羽文雄さんを中心とする同人雑誌『文学者』のことは、これまで何度も取り上げてきました。母体となったのは戦前にあった「五日会」、そこから戦後に「十五日会」というかたちに発展した創作・評論の勉強会です。丹羽さんと親しい同輩や後輩などが集まって、来るものは拒まず去るものは追わず、多くの作家志望者がその門を叩き、小説を書いては仲間から酷評され、酒を飲んでは口論し、有名になった人がいれば無名で終わった人もたくさんいる、昭和戦後期を代表する文学同人の団体です。20数年といいますから、だいたい四半世紀ぐらい続いた、と言われています。

 なにぶんマジメな文学に偏った団体ですから、直木賞なんて全然関係ないのかな、と思いきや、中村八朗さんや小泉譲さんをはじめ、数々の作家が直木賞の候補になったことで文学人生を狂わされ、おれは芥川賞的な方向でやっていきたいんだ、勝手に直木賞の候補になんかするな、という感じで、直木賞が得意げに繰り出した「余計なお世話」のなかでも、もろに被害に遭ってしまった人の多いのが、この集団の特徴です。直木賞の観点から見ると、いつも何か心にモヤモヤしたものを感じてしまう『文学者』の人たち……。直木賞なんてものがこの世にあったばっかりに、甚大なご迷惑をかけてしまいました。すみません。

 直木賞のことはひとまず措いておくとして、ほかに『文学者』の特徴といえば何でしょう。雑誌をつくるためのカネの出どころが、現役作家の丹羽文雄さん、だいたいひとりに集約されていたこと。かなり重要な特徴です。

 まったく何はなくとも先立つものはおカネです。カネにまつわる話題は、およそ文学方面では忌避されがちですが、残念ながら日本の近現代文学は、消費をする、利益をあげる、金銭を授受する、すべておカネによって成り立っています。じっさい、直木賞をはじめとする文学賞も、いま調べている小説教室も、ざっくり言ったら「文学におカネを掛け合わせて生まれたシロモノ」という共通点があるのは間違いなく、そういう汚らわしさ……いや、俗っ気で構成されているところが、文学賞と小説教室、双方の魅力の源泉なのだ、と言っても過言ではありません。

 文学賞が日本で市民権を得たのが昭和のはじめ。小説教室が日本の大学でボコボコつくられていったのも、昭和のはじめ。そしてだいたい同じ時期にデビューした丹羽文雄さんは、はなから経済的な活動しての創作が身についていた時代の作家です。小説を書きまくって稼いだおカネを、文学環境を整えることに還元する。丹羽さんは、そういう面でおカネを流動させる活動も担いながら作家人生を歩んだ人だった、と言えるでしょう。

 その活動のなかで、「ひとに小説の書き方を教える」という仕事を引き受けたのも、丹羽さんの大きな特徴です。

 たとえば『文學界』に昭和27年/1952年4月号から発表された「小説作法」という作品があります。昭和29年/1954年3月に文藝春秋新社で書籍化されるやベストセラーになってしまい、これまで数々生まれてきた小説の書き方を説明した本のなかでも金字塔と言っていい作品ですけど、これが改題されて『私の小説作法』(昭和59年/1984年3月・潮出版社刊)として再刊されるときに、改めてつけられた「あとがき」によれば、単行本になる前、『文學界』に最初に発表した段階で「その号に限り『文學界』が増刷したということであった」そうです。文芸誌が増刷されるなんて異例のことだ、と昨今もいろいろ話題になったりしていますが、当世の人気作家丹羽文雄が自らの創作のやり方を大胆に開示してみせた! ……ということが、いかにそのころの読者にインパクトを与えたのか、よくわかります。

 興味深いのは、丹羽さんが創作の方法を他人と共有することに、さほどの抵抗感がない感性の持ち主だった、ということです。

 小説の書き方なんて千差万別で、そんなものは教えようがない、と『小説作法』のなかにも出てきます。では、どうしてこういうものを書こうと思ったのか。信頼する後輩、小泉譲さんが聞き手になったインタビューで、こう答えています。

丹羽 わしのところには、他の作家もそうだろうが、非常にたくさんの原稿が送りこまれるのだよ。勿論、未知の文学青年の原稿だ。北は北海道から、南は九州の果てに到るまで。つとめて、目を通し、短評をつけて返送してやつていたが、郵送料だけでも大変なものだ。しかし、みな一生懸命なのだから出来るだけはやつてやりたいと思つてねえ。だが、仕事もいそがしいし、それに最近眼が非常に疲れるのでね、なるべく勘弁して貰つている。そこで、何か、そういう人たちのために参考になる小説入門書みたいなものはないものかと漠然とだが考えていたんだよ。」(『文章倶楽部』昭和30年/1955年5月号 丹羽文雄、小泉譲「新人について」より)

 丹羽さんの、文学志望者たちに対する寛大な親切心がよく伝わる逸話なんですが、ここにもまた「おカネとともにある文学シーン」という背景を強烈に感じないわけにはいきません。

 そもそもどうして見ず知らずの全国の志望者が、丹羽さんのところに原稿を送ってくるかといえば、丹羽さんが新聞、雑誌などメディアにひんぱんに登場する売れっ子だから……という面が確実にあります。そういう人たちの要求を、一対一のリアルなやりとりで叶えるのは限界がある。ならば、文芸誌を使って(もしくは単行本というかたちで)「小説の書き方」を売り物にしてしまえば、より多くの人たちの希望に応えることができるではないか。丹羽さんの『小説作法』は、そういう商業的出版の仕組みを前提として生み出されたものです。

 メディアを介した小説教室は、いまの時代も健在で、オンラインにしろオフラインにしろさまざまな講座が出まわっています。丹羽さんの『小説作法』もその系列に通ずる性格をもった「小説教室」と言っていいでしょう。

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2021年3月21日 (日)

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▼平成4年/1992年、安原顯が、創作科から出てきた作家の小説は「クズ中のクズだ」と言う。

 1990年代に入って、創作講座は一気に裾野を広げます。

 いろいろな場所で、さまざまなタイプの講座がつくられ、現役の作家が能動的に小説の書き方を教える機会も増えました。そうだよ小説作法を教えてカネをもらうことの何が悪い。と、わざわざ肩ひじ張って主張しなくても、それが自然に受け入れられる時代がやってきます。

 プロになるには文学性なんて不要だ。と言わんばかりに、プロットの立て方、キャラクターのつくり方などを重視するクラスがつくられる。いっぽうでは、文学とは自分を高めるためにあるものだ、と言い切って読書と執筆に親しむ趣味サークルが群立する。……それぞれの目的に根ざした教室が、泡のように生まれ、泡のように消えていきます。

 前週、取り上げた創作学校CWSも、90年代の産物のひとつです。創設のとき、その中心にいた安原顯さんはやる気をみなぎらせ、「小説教室」のうえで先輩に当たる早稲田大学文芸専修の三田誠広さんのもとを訪れて、どういう感じで創作を教えているのか、熱心に尋ねました。その様子をまとめた対談記事のことは前回も紹介したんですが、そこには平成4年/1992年当時の小説教室を二人がどう見ていたのか、ということも合わせて語られています。ちょっと参考にさせてもらいましょう。

 ひまなオバさんが群れをなすカルチャー・スクールを、安原さんは「気色が悪い」と一蹴していましたが、ひるがえって大学の創作科のことも、あまり評価していなかったようです。

 対談の司会(『早稲田文学』編集部の人)に「大学の文芸科からは作家は出てこないような気がする」と振られて、そりゃそうだと言わんばかりに、こう語っています。

「それはアメリカの大学の創作科の場合もおなじで、あれは一種、喰えない作家のための救済的要素が強いし、まあひとにもよるんだろうけど、そんなに熱心には教えていないみたいね。学生の自主性に任せているというか。ミニマリストのなかにもカーヴァーのような例外はあるけれど、創作科が増えてからでしょう。いわゆる身辺雑記的素材の小説がアメリカで急増したのは。マキナニーにしろ、ブリット・イーストン・エリスだっけ、映画にもなった、彼らに象徴される創作科出身の新人作家って、アメリカでも、日本の翻訳でも、一応ベストセラーになったけど、小説としてはクズ中のクズだね。」(『早稲田文学』平成4年/1992年12月号 安原顯、三田誠広「徹底的に、個別的に ありうべき文学教室の指導要領」より 安原顯の発言)

 創作科出身の作家には特徴的な作風がある、というのはなかなか面白い見立てです。

 この説を受けて、三田さんもアメリカの創作科には問題点があると指摘。それは、受講生の作品をみんなで読んで批評するかたちをとっているため、素人同士の口論合戦になりやすく、けっきょくみんな減点されないようなこじんまりしたものばかり書くようになってしまうようだ……と答えています。

 誰かの書いたものを、みんなで読んで批評し合う。要するに、同人雑誌の世界で古くから行われてきた合評会そのものです。

 ああ、同人雑誌の合評会。……悪評高き、といいますか、美しき伝統美、といいますか。自分の書いた作品を、仲間たちに読ませたうえで面と向かって批評される。攻守入れ替わって仲間の書いたものを読み、今度はこちらが公衆の面前で批評を述べる。そんな合評会という文化が生まれたのはいったいいつからなんでしょう。まったくわかりませんけど、いかにも文学修業といったらコレだ! というふうに昭和の日本の同人誌に定着していたのは間違いありません。

 70年代後半から日本じゅうに拡散した「小説教室」は、発展するなかでいろいろな旧弊とぶち当たりましたが、そのひとつが「合評会」だったのもまた明らかです。

 同人雑誌の文化から生まれた、と言っていい朝日カルチャーセンターの駒田信二教室では、自前で雑誌をつくり、当然「合評会」が行われました。そこでの生徒同士のぶつかり合いが、木下径子『女作家養成所』(平成1年/1989年1月・沖積舎刊)という怪作を生み出した……というのは、ここ何か月かブログで追ってきたとおりです。

 また、日本児童教育専門学校出身の森絵都さんと、青山学院大学の児童文学サークル出身の佐藤多佳子さんが、合評というのはイヤな世界ですよね、と語り合っていたのも印象的です。創作教育、創作学習に、みんなでみんなの作品を読み合う形式は果たして有効なのか。……小説教室が拡大するに当たってこの問題に遭遇したことは、相当大きなインパクトをもたらしたように思います。

 討論、ディベート、ディスカッション。昔から日本人が苦手と言われ、ビジネスでも教育の場でもなかなかその効果を採り入れることができないままに時代が進んできましたが、「同人誌の合評会」という闇の奥底でチマチマ行われていた奇妙な因習が、小説教室という広く人目に触れる場面に応用されたとき、うぇ、何だこりゃ、こんなもので小説を書く力が鍛えられるわけないじゃんか、と多くの人の拒否反応を誘ったのは間違いないところです。

 やはり創作を学ぶには、討論形式ではなく、ひとり教える講師がいて、生徒はその先生とのやりとり、添削、聴講のなかで書いていく方法が望ましいのではないか。じっさい小説教室の主流は、徐々にそちらのほうに傾いていくことになります。

 90年代から2000年代初頭にかけて、いくつかの大学で創作教育を採用する流れが生まれますが、そういったところでもいわゆる合評ではなく、講師対生徒の関係をどのように高めて創作につなげるか、という観点が重視されたようです。直木賞のハナシから外れるいっぽうですけど、せっかくなので、この勢いで「逆漱石現象」のことに触れてみたいと思います。

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2021年3月14日 (日)

平成4年/1992年、中央公論社を退社した安原顯が奔走して「創作学校(CWS)」を立ち上げる。

▼平成4年/1992年、出版社メタローグのもと、『リテレール』が創刊、「創作学校」が開校する。

 小説教室をつくってきたのは、誰でしょうか。大学あり、マスコミ企業あり、イデオロギーにまみれた文学団体あり。いろいろな組織が手がけてはつぶし、撤退しては挑んできました。もちろん出版に携わる企業人や編集者たちも、のうのうと暮らしていたわけではありません。これはうまく行けばカネになるぞ。と、ビジネスの夢を求めて、いくつかの出版社が勢い込んで参入します。

 たとえば昭和49年/1974年「日本ジャーナリスト専門学校」にカネを出したみき書房もそうでしたけど、平成4年/1992年に開校した「創作学校 Creative Writing School(CWS)」も、代表的なひとつです。

 いや、代表しているかはわかりません。とくに革新的な試みでもなく、片々たる一例かもしれませんが、当時、「オメガ」という編集プロダクションをやっていた天道襄治さんとそのスタッフ今裕子さんが、本格的に小説の書き方を教える学校を立ち上げたらどうだろう、きっと人も集まるだろう、と大きな夢をもち、一大プロジェクトを企画します。以来、創設から30年超。いまもまだ、とりあえず続いているようです。

 しかし、創作学校CWSが90年代、日本の小説教室史に名を残したのは、何といってもその二人が、安原顯さんに設立を相談したからでしょう。

 やすはら・けん。通称ヤスケン。大風呂敷を広げて悪目立ちすることにかけては天下一品、生きているうちはいいけれど死んだ途端に悪口を言われてハイそれまでよ、でおなじみの、いまではその著書を手にとる人もほとんどいない、あの安原さんです。

 バブル景気の時代、中央公論社の女性誌『マリ・クレール』を編集し、けっこうたくさん売りました。平成4年/1992年、23年ぐらい在籍した中公にツバをひっかけて退社したところ、次の仕事を持ってきたのが、安原さんがかつて竹内書店で働いていたときに同僚だった天道さんで、新しい雑誌の創刊と、創作学校の設立を打診したのだといいます。

 だいたいの経緯は、『ぜんぶ、本の話』(平成8年/1996年9月・ジャパン・ミックス刊)の「出版社「メタローグ」をめぐる冒険」とか、『決定版「編集者」の仕事』(平成11年/1999年3月・マガジンハウス刊)の「第四章 出版社メタローグと「創作学校」を創設」とかに詳しいです。ゲテモノ好きな方はぜひ原文を読んで、罵倒と放言を繰り返す安原さんのスタイルに、気分を害すもよしヘドを吐くもよし、著者渾身の暴露ゴシップを堪能していただければいいんですけど、新会社のメタローグで『リテレール』という季刊誌を創刊したのが平成4年/1992年6月、創作学校の創立が同年10月。ほとんどおれ一人の苦労によって始めることができたのだ、と安原さんは豪語しています。

 時にこのころ、直木賞ともう一つの文学賞は、第107回(平成4年/1992年・上半期)を迎えた時期です。純文学系の賞のほうは、80年代後半に訪れた暗いトンネルをようやく抜け出たものの、そこは雪国のように寒く、歴史的役目は終わっただの、こんな茶番早くやめちまえだのと、外野からワーワー言われ、もちろん安原さんもクソミソに叩いています。いまから30年ほどまえのことです。なつかしいですね。

 そもそも安原さんが、どの程度直木賞に興味があったのかは不明ですが、第114回(平成7年/1995年・下半期)のときには、小池真理子『恋』なんて駄作に賞を与えやがって、選考委員の罪は重い! と断言していたようです。直木賞がだれのどんな作品に賞を与えようが、おれには関係ないよ、と言い捨ててもいいのに、なぜか結果に反応しています。文句を言う。そしてけっきょく文句ばかりが威勢よく、相手に届いたふしもありません。安原さんのような有能な人でさえ、権威ゴッコの茶番を終わらせることができなかった、という歴史的事実を確認すると、直木賞ほか一賞のたくましさがよけいに際立ちます。

 と、ここで文学賞の話題を持ってきたのは他でもありません。安原さんがなぜ「創作学校」という面倒な仕事を引き受けたのか、その理由のひとつに文学賞のことを挙げているからです。引用してみます。

「ぼくがなぜ「創作学校」など仕切る気になったかと言えば、文芸誌の新人賞はもちろん、芥川賞・直木賞に代表される近年の新人賞受賞作の、あまりのレヴェルの低さに唖然とさせられ続けたことも大きいが、作家志望の若者を本気でしごけば、1、2年に1人くらい、可能性のあるパワフルな新人が育てられるかもしれぬとの、余計なおせっかいからだった。しかし、3回の授業を体験し、そんなに簡単なことではないことを痛感させられると同時に、一方では、始めた以上は、何としてでも新人を送り出してやりたいとの、妙なファイトも湧いてきている。」(平成5年/1993年5月・図書新聞刊、安原顯・著『ふざけんな! まだ死ねずにいる日本のために』「「創作学校」の課題作文を読み、「俺は肥溜めじゃねえぞ」と怒鳴る天才」より)

 安原さんのハナシを信じると、メタローグの運営も創作学校も、一年ほどで赤字がぐんぐん積み重なり、抱えた負債が4000万円。これを見て天道さんはすぐに撤退しますが、残った今さんが安原さんを引き止め、今さん800万円、安原さん500万円を出し合ってメタローグの経営を継続。しかしどんどんお金は出ていくいっぽうで、平成6年/1994年にはどうにも首がまわらなくなり、「安原さん、今後は無給でお願いします」と言われてはさすがに続ける意思も消え失せて、この年の12月、『リテレール』11号を出したのを最後に、安原さんはこの事業から一切身を引きました。ところがハナシはそれでは終わらず、なぜか連帯保証の債務を負わされたため、安原さんブチ切れて……といった、犬も食わないいざこざは、先に挙げた参考文献を読んでみてください。

 ビジネスのうえでは損も得も紙一重。おカネがなくなっても恨みっこなしよ、というのが通常の人間社会です。しかしここまでして、親しい人に頼み込んで講師をやってもらったり、才能があるのかわからない受講生たちのために作品を添削したり、安原さんが創作学校を始めた気持ちに、損得では計れないものがあったのは間違いありまけん。そう考えると安原さんが自分のことを「おせっかい」だというのは、まったくの至言でしょう。

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«昭和62年/1987年ごろ、高校を卒業した森絵都が、作家を目指して日本児童教育専門学校に入学する。